【丸山先生から】( 二〇二三年十一月十日)
仏教塾の浄土真宗の講義でお話ししたことからご紹介いたします。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の主人公の最後はどうなるか、ご存じでしょうか。
恋人の猫も死んでしまった後、飼い主宅で結婚式が開かれた時、主人公もビールのご相伴に預かり、すっかり酔っぱらってしまい、水瓶に落ちてしまいました。
最初は水瓶から這い出ようと必死にもがいていましたが、ふと何かに気づき、もがくのを止めてなすがままにして、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言って亡くなっていったのが、結末でした。
著者の夏目漱石は、お隣が真宗のお寺であったことから、真宗の教えに馴染んでいて、主人公の最期を「則天去私(そくてんきょし)」にて表現したと言えましょうか。
また、浄土真宗は、阿弥陀様にすべてをお任せする教えなのですが、その心をかたちに表すのが「合掌礼拝」となります。「敬う心」をかたちに表していくと捉えていかれるとよいのではないでしょうか。