前回、お盆は亡くなった人が黄泉の国から現世に里帰りする日とお話しました。 お盆の発祥は、お釈迦さまの時代。紀元前五世紀ころにまで遡ります。
お釈迦さまの弟子に優れた神通力を持つ木蓮という弟子がいました。 木蓮は、神通力で亡くなった母親がどこにいるのか探ってみました。母親がいたのは、餓鬼道。木連は苦しむ母親を救ってあげたいと考えましたが、力が及ばずに助け出すことはできません。 お釈迦さまに相談した木連は、7月15日、修業が一段落した僧侶たちに食べ物をお供えして、お経を称えてもらい、母親を供養しました。
これが、自宅にご僧侶をお呼びして親戚一同でお経を称えて、亡き方を供養するお盆の起源といわれる伝説です。
私たち浄土真宗の考え方では、お盆は、親兄弟、親戚一同が集まって仏さまに手を合わせる機会を与えてくださった、亡き方に感謝する場と捉えています。 いま生きている縁を作ってくれたご先祖さまに感謝する〝報恩感謝〟の法要なのです。
それは、お盆だけではありません。年忌法要についても同じことが言えます。 けれど、ご先祖さまが繋いでくれた縁が、年々、薄れていると実感しています。
私の感覚としてですが、首都圏では一周忌を執り行う方は50%に過ぎません。三回忌をする方は一周忌を行った方のうちのさらに50%。十三回忌まで行う方は、1%にも満たないでしょう。 年忌法要を行う方々が減った結果、ご先祖さまがいたからこそ、いまの自分が存在しているという感覚が得られなくなってしまっているのかもしれません。
ふだん会う機会が少ない親兄弟や親戚が一同に会する場は、自らの歩みを振り返るきかけになります。 お盆に帰省した際には、いま生きている縁を感じながらお墓に手を合わせていただければ、と思うのです。(続く)
取材・構成/山川徹