日本人は〝無宗教〟の人が多いといわれています。
特定の宗教を信じないから無宗教と考えているようです。
しかし海外で無宗教といえば、物理主義者、合理主義者、無神論者を指します。
日本人の多くは、無宗教とはいっても、七五三や初詣で神社に行けば柏手を打ちますし、
墓参りや法事で寺院に足を運べば合掌します。
そのような姿を見ると私はこう思うのです。
特定の宗教に対して帰属意識が薄いだけで、宗教心は根付いている、と。
ただ、お経の代わりに故人が好きだった音楽を流す音楽葬や僧侶の代わりに
友人に見送ってもらう友人葬など、宗教者を呼ばない無宗教葬を行う方が増えているのは事実です。
旧態依然とした宗教的な価値観や高額な葬儀費用に反発を感じて、
死んだら無宗教で葬儀を行うように、とエンディングノートや遺言に書き残す人が多いようです。
また経済的な問題から葬儀を執り行うことができずに、
病院から直接、火葬場に遺体を運ぶ直葬も、無宗教葬のひとつといえるかもしれません。
無宗教葬の話を聞くと、極端かもしれませんが私には
亡くなった方を〝遺体〟という物として扱っているようにすら感じます。
心のなかに存在していた亡くなった方への敬意、死者に対する畏敬の念、
そして死者への畏れが、失われてしまったのではないかと思うのです。
このコラムでもたびたび指摘していますが、高度経済成長が日本の社会を、日本人の意識を大きく変えました。
とくに強く変化を感じるのは、幸せの尺度。
日本が経済的に豊かになっていくとともに、物を持っているか持っていないかが、幸せの基準になりました。
その結果、精神面の充足は置き去りにされ、宗教観や倫理観による価値観が崩壊しました。
そこが、いま、無宗教のご葬儀を選ぶ方が増えている要因になっている気がするのです。
取材・構成/山川徹