前回、前々回と終活について考えてきました。
終活のひとつの形といえるのが、生前葬。
しかし、仏教者の立場からすると首をかしげざるをえないというのが、正直なところです。
生前葬をしたいという方の相談を一度だけ受けた経験があります。
「自分が死んだとき、家族がどう葬ってくれるか分からない。 元気なうちに生前葬を執り行っておきたいんです」
動機をそのように語っていました。
私は思わず「生きているあなたにご葬儀の為のお経をあげればいいんですか」 と冗談半分で聞き返してしまいました。
なかには、生前葬を行うことで、いままで自分を支えてくれた人たちとの縁を確認したい、
生きてきた歩みを振り返りたいと考える人もいるでしょう。
けれども、本来、ご葬儀とはお別れの儀式です。
私は、ご葬儀はご遺族が亡き方をしっかりと葬ってあげた、供養した、という気持ちを持つために、
そして悲しみを乗り越えるために、必要な過程だと考えています。
ご葬儀では、多くの方が亡き方を見送りにやってきます。
ご遺族の目の前にはやらなければならいことが数多くあります。
ご葬儀は、悲しみに暮れているヒマがないほど慌ただしく、忙しいものです。
そして参列した方々が帰り、ご葬儀をやり遂げた後、徐々に悲しみがこみ上げてきます。
私は、ご葬儀にはご遺族の悲しみを和らげ、ゆっくりと受け止める効果があるのでは、と思うのです。
そのような意味を持つご葬儀を生前に行うのは……と疑問を感じてしまいます。
調べてみると、生前葬は著名人が引退を告知するために行う場合が多いようですが、 決して一般的に浸透しているわけではありません。
生前葬を否定するような話になってしまいましたが、 私たちは価値観が多様化した時代に生きています。
旧来の宗教観、道徳観、倫理観が、これからも通用するとは限りません。
生前葬に代表されるようないままで馴染みが薄かったスタイルの葬儀が広まっていると聞くと、 30年後、50年後にひょっとしたら生前葬が当たり前の時代がきてもおかしくないのではないか、という気もしてきます。
そして、我々は時代や社会が劇的に変わる過渡期に生きていると実感するのです。
取材・構成/山川徹