令和四年十月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》
令和4年 10月1日(土)午前10時より、町屋光明寺本堂において令和四年十月の祥月命日講を厳修いたしましたことをご報告申し上げます。
多くのご供養のお申込みを賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。
合掌
十月の法話
ただいま、10月の祥月命日講をねんごろにお勤めさせていただきました。
お疲れのこととは存じますがご仏縁の機会でございますので、少々お話をさせていただきます。
仏教では、人が亡くなることを、「往生する」と申します。「往生」は「往って生まれる」と書きます。それでは、どちらに行かれるのか?
それは極楽浄土。極楽浄土は、阿弥陀さまがすべての衆生、生きとし生けるものを救いたいと願い、つくられたお浄土で、いろいろなお浄土がある中で、阿弥陀さまの極楽浄土は、その中でも最もすばらしいお浄土であると、さきほどおとなえしました『阿弥陀経』はじめとした多くのお経に説かれています。
故人さまは、極楽浄土に行かれて阿弥陀さまのお傍に生まれておられるのでございます。
極楽浄土に往って生まれて、それで終わりかというと、決してそうではありません。
よく「天国でやすらかにお眠りください」ということも聞きますが、仏教では決してそうではございません。極楽浄土には、ご先祖さまもおられます、ご縁のあった方々もおられます。阿弥陀さまのもと、ご先祖さまとともに、阿弥陀さまのお手伝い、つまり、みなさまを見守り、正しく導かれているのでございます。浄土真宗宗祖の親鸞聖人も、「生」から「往生」と極楽浄土へと続いていくことを説かれました。
阿弥陀さまも、故人さまも、そしてご先祖さまも、私たちを見守り、導いてくださっているのでございます。ということは、私は、極楽浄土も私たちの今いるこの現世も、仏教ではひとつの世界でつながっていると思います。私たちが気づかすにいるだけで、阿弥陀さま、故人さま、ご先祖さまは常に私たちが幸せになることを願われているのです。
決して、高い壺を買ってほしいとなどとは願われないのです。私たちを見守り、導かれているのです。そういった、阿弥陀さま、故人さま、そしてご先祖さまに感謝させていただくのがご法要なのですね。
では、私たちはどう生きていけばよいのか?どうすれば、幸せに生きることができるのか? お金持ちになることとか、名声を得るとか、出世するとかではないですよね。
穏やかに生きることです。
でも、私たちの身のまわりにはいろいろなことが起こります。過去のおこない、現世だけでなく、過去生での行いが業や縁として起こるとも仏教では説かれます。穏やかに生きるとはどういう生き方でしょうか?
みなさんは、『吾輩は猫である』を読まれたことはあると思います。教科書にも載っていたかと思います。
『吾輩は猫である』は、夏目漱石によって明治38年ですので120年前に書かれた長編小説です。中学校の教師・珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)が飼っている猫を主人公とし、猫目線から観察した人間の日常が描かれています。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」からはじまるのですが、最後どうなったか覚えておられますか?
ビールを飲んだ猫ちゃんは酔って甕の中に落ちてしまうのですが、「吾輩はもう抵抗しないことにした。吾輩は死ぬ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ありがたい、ありがたい。」と言いながら亡くなるのですね。
夏目漱石は、浄土真宗の檀家に生まれました。そして大正のはじめ49歳で生涯を終えました。胃潰瘍であったと言われています。歴史上の人物の功績は歴史となりますが、その信仰、仏教を信仰していたことはあまり知られないですよね。
亡くなる1カ月前に、「則天去私」という言葉を残されています。
「則天去私」 「自然」
「則天去私」は夏目漱石の造語ですが、「則天」の天に則しては、天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は「私を去る」つまり、私を捨て去ること。の意味です。
自然は仏教では「じねん」と読みます。〈もとよりしからしむ〉ということばで、おのずからそうであること。人為を捨て、ありのままにまかせること。という意味です。
自然を無視したり、人為の結果は、昨今の地球的な危機をもたらしていることも警鐘ではないでしょうか。
自然・じねんに生きること、それが穏やかに生きることでもあると私は思います。
さきほど、極楽浄土も現世も仏教ではつながった世界であるとお話しさせていただきました。ですので、この現世に、阿弥陀様、故人さま、ご先祖さまは、一緒であり、見守り、導いてくださっている。だから、安心して今のことに最善を尽くしていけばいい、決して、アクセクして気を煩わすことなく穏やかに生きていくことが大切であると、私は思います。あくせく苦しむことなく、力を抜いて、穏やかに生きることを、阿弥陀さま、故人さま、ご先祖さまは、願われているのです。猫ちゃんもそれに気づいたのだと。
どうか、自然・じねん・しぜんな生き方をしていただきたいと願っております。
最後に、お寺には本堂もあり、ご本尊さまもおられます。もちろん、お墓もございます。墓前では、故人さまを思い、また故人さまと語らえます。でも、隣のお墓の方のことはご存じないですよね。でも、今こうして、皆さまはお寺の本堂に集われ、阿弥陀さま、それぞれ故人さま、ご先祖さまと向き合っておられます。
ぜひ、お寺に来られたときは墓所だけでなく、ご本堂に足をお運びいただき、ご本尊さま、ここのご本尊さまは阿弥陀さまですが、にもお手をあわせくださいますよう申し上げ本日の祥月命日のご法要を終わりたいと存じます。
今日から10月、だいぶ涼しくなってきたとはいえ、台風の接近や天候不順が続いております。また、新型コロナウィルス感染症もなかなか収束せず、不安な毎日でございますが、くれぐれもご自愛なさって、健やかに、そして穏やかにお過ごしいただくことを願っております。 本日はご大儀さまでございました。
合掌