東京御廟 町屋光明寺

コラム

令和三年七月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》

令和三年七月 祥月命日講 《 施行完了のご報告 》

令和3年 7月3日(土)午前10時より、町屋光明寺本堂において令和三年七月の祥月命日講を厳修いたしましたことをご報告申し上げます。

皆さまに返送いただきました祥月命日講ハガキはご本尊阿弥陀如来の御前に浄納し、ねんごろに供養いたしました。
多くのご供養のお申込みを賜りましたこと、あらためて感謝申し上げます。

合掌


7月の法話

ご大義様でございます。

今日は、祥月命日講ということで・・・私たちの仲間と言いましょうか、お寺の僧侶の命日もあったのですが、皆様の亡くなった方のことも想いうかべながら、お話いたします。
諸行無常という言葉をご存じかと思います。お釈迦様がおっしゃった言葉です。世の中の物はすべて移り変わりゆく、一時として、1つとして同じものは無いんだ、皆変わってゆくんだ、そんな教えでございます。
私事ではございますが、私の母親のことで、諸行無常についてお話したいと思います。
私の母親は、平成20年に亡くなって、今年13回忌になります。85歳で亡くなりました。亡くなる前に、いわゆる認知症になりましてね・・・80歳から5年くらい認知症を患いました。
認知症にもいろいろあるのだとは思いますが、80歳をすぎたころ病院に長いこと入院し途中で症状が出始め、3か月ほどで家に帰されたときに完全に認知症となっていたわけです。
認知症の症状を表していた母ですが、私たち一軒家の2階に母、階下で我々夫婦が様子を伺いながら固唾をのんでいる、そんな状態でありました。
前からこの母親には、我が家の愛犬コロという飼い犬がいるのですが、コロを散歩に連れて行く時間があったわけですね、で、家内と相談しまして、母親を見守るために2階に閉じ込めてもマズイだろうということで、愛犬のコロに「散歩をお願い」したんです。彼はうんと言ったわけではないのですけどね(苦笑)
コロの首輪に番地と電話番号、連絡先、また母親のカバンなど至るところに連絡先を記しまして、今の私が歩いても12,3分かかるかかる範囲を、恐る恐る散歩をさせてもらったんです。最初は家内も注意しながらついて行ったんですが、そうしたらだんだん犬が引っ張りだしまして、犬が母親を連れて散歩をするようになったんです。母親もついて行く。
犬だってずーっと散歩しているのは嫌ですから、ある程度までいくと引き返してくるんです。つまりは犬が母親を散歩させている状態。
そうしたら、たまたまでしょうか、認知症の症状が改善してきまして、まったく今までは反応なかったものに、反応があるようになってきました。完全に治ったわけではないですがほとんど良くなった。
で、確認したんです。ばーちゃん、どうだったの、今まで貴女は認知症だったわけだけど、それはわかった?と。そうしたら、わからない、と。
でもね、母親はこう言うんです。実は入院している時に、認知症になった瞬間、目の前の景色が靄がかかったみたいにとにかくわぁぁって真っ白になって、その靄の中から突然見知った顔がぴゅっと現れる、でもそれは看護師さんだったりするのですが、自分の産んだ娘に見えたり、とにかく白い靄に閉じ込められた状態だったんだよ、などと言ってました。そうやって思い出話ができるわけですから、認知症が治ったという感じを受けたわけです。非常に不思議な感覚を味わいました。
認知症になってしまうともう治らないという思いがあったわけですが、そうじゃない。最後は心臓を患って病院に入り、残念ながら85歳で亡くなりましたが、やはり「認知症は治らない」という固定観念を捨てて努力をすれば改善される、だからもし、ご本人が散歩をしたいとか外に出たいとか、危ないからダメではなくて、誰かついてあげて散歩のお手伝いをするのも良いのかも・・是非試してみてなどという軽い問題ではありませんが、お役に立てればという思いでお話した次第でございます。
お釈迦様は80歳でお亡くなりになりました、ある村で、亡くなった原因ですけれど、料理を御馳走になって、それにあたって亡くなったわけです。それを嘆き悲しんだお弟子さんが諸行無常という言葉を想ったとのことです。
人間生きていますと、色々なことがございます、それも変化していきます、自分の思い通りにはならない。そういうものだと認識してお暮しいただければ、気持ちが少し落ち着くのではと思います。


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